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Posts Tagged ‘1984年’


『TCP/IPからの離脱がポストコンピュータ産業を創成?』


   


     11月 12th, 2016  Posted 12:00 AM



ふるさと福井に戻ってデザイン活動ともう一方で、
自分のほぼ直感で向き合っていたのが、
コンピューターとの関わり合い方でした。
1984年に登場したMacintosh 128kとの出会いは、
その直前にApple社のAppleⅡやLISAの存在がありました。
30代になってすぐには、国内では「シグマ・プロジェクト」、
この登場はすでにこの国家プロジェクトは絶対に失敗すると思っていました。
福井の電設資材企業は、いち早くこの国家プロジェクトと同時に、
MacintoshとUNIXとの連動性を追いかけていました。
その核心はTCP/IP
=Transmission Control Protocol・Internet Protocolでした。
今ではインターネットとの連結などは無視できるほど簡単ですが、
その当時にMacとUNIXが繋がるというノウハウは、
このベンチャーから始まったと言ってもいいでしょう。
大メーカーである自動車企業内のUNIXとMacが繋がることが技術でした。
そのTCP/IPは、決してシグマプロジェクトとは切り離してこのプロトコルを
それぞれの企業向けとしてスタートさせていました。
なぜ、この1985年=バブル直前に戻るということは、
重厚長大が軽薄短小になって、
日本の経済は20年間が失われたいったと考えていいのかもしれません。
つまり、TCP/IP はその頃は実際も性善説の社会観でしたが、
今はこの企業の主力商品がネットワークの安全性確保になっていることです。
結局、ポスト・インターネットでの次世代、その根幹を求める、
その時代に私たちは追い立てられているということです。
デザイン界は、ポスト・コンピュータでの基幹産業を
なんとしても発見する時代になっているのです。


* 『GRiD社キーボード位置をどう乗り越えるかだった』
* 「シリコングラフィックスを使っていた頃」
* 「ブリューゲルが描いた盲目の人たち」
* 「哀悼・スティーブ・ジョブズ氏」
* 『SNSを創造的破壊させるデザインが必要だ』


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『GRiD社キーボード位置をどう乗り越えるかだった』


   


     12月 29th, 2015  Posted 12:00 AM



1984年は私にとって一つの大きな区切りの年でした。
それはAppleからMacintosh 128kが登場したことでした。
それまで、AppleⅡやコンピュータに興味をもちながらも、
このコンピュータの登場は、やがて私がこのパーソナルコンピュータに
それも深く関わっていく起点の年であったことです。
国内の企業にいくつか関わり、
その愚痴をApple Japanでこぼしていました。
「川崎さん、米国に行くべきです。Apple社を紹介します」。
そして私はオレンジとブルーのMindTopを持ってクパチーノに行きました。
「プリエ方式」という二分されたノートブックスタイル、
「Big Blue」を引き離すという意味、
これは当時、IBMを指すスラングでした。
私が驚いたのは、GRiDがクラムシェル型という手前にキーボードで
マグネシウム合金筐体=これはMoMA最初の携帯PCの登場でした。
これは友人・故ビル・モグリッジのデザイン。
キーボード位置は完璧な特許でした。
A:「なぜ、君のはキーボードが奥にある?」
K:「GRiD特許は避けないといけないのです」、「なるほど」。
A:「なぜ、トラックボールが手前で中央?」、
K:「マウスを裏返した造形です」。
沈黙の後に、私はコードネーム「ASAHI」を見せられました。
CEOジョン・スカーリーとアラン・ケイの前でのプレゼでした。
それからの闘いは、デザイン部門と技術部門の激烈な闘いの連続。
世界で最初のPowerBook100を生み出す現場で、
東洋人とWASPの闘いの中での日々でした。
福井でのデザイン活動は、「メディアインテグレーションの具体化」、
七つのプロジェクト=東芝との共同開発を抱えていました。
シャープとのNewton開発帰りには、メンバーが福井で打ち合わせ。
呼び出されると、私はクパチーノに出向いていました。
東京はちょうど「バブル経済のど真ん中」であり、
私には東京は狂っているとしか見えない情況。
福井 – クパチーノ、クパチーノ – 福井でのプロジェクトが
すべて中止になったのは、ジョン・スカーリーが、
クリントン大統領就任とともに、Apple社退任になった時でした。
DeskTop→LapTop→ PalmTop、だからMindTopという論理は、
金剛界曼荼羅が思想背景が明前とあり、
曼荼羅論はすでにスカーリーはすべて理解してしまっていました。
東京で会い、箱根でも打ち合わせが連続していました。
私の「Go a head, make my Apple!」が
プレゼンテーションではもの凄く受けました。
私のMindTopは、意匠権は20年で消滅しましたが、
この図面は、私の作品集で著作権となり、
国内雑誌にも特集、TVでも紹介されました。
GRiD社のキーボード配置は、
その後の技術でキーボード仕様は大きく変化。
今や、手前にポインティングディバイスで、
キーボードは後方が当たり前になりました。
PCの技術進化はクパチーノの現場での詳細な経験は深い思い出。
未だに、私のコードネーム=Jeepは実現されていません。


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「自宅Wifi環境の変革と自分のCloud化」


   


     6月 26th, 2013  Posted 12:00 AM



1984年Macintosh128Kに出会ってから、
ユーザーであるばかりか、
デザイナーとして、Apple社のコンサルタントも努め、
おそらく一番に、パソコンモニターもデザインしてきました。
Apple Linkでクパチーノとの連絡通信し、
同時に、maruzen marunetでまだServeの会員だった頃に、
やがて、自宅のWifi環境までをCloud化するとはという感慨です。
正直なところ、どれだけ、パソコンから自分を切り離すこと、
これがプロのデザイナーにとって、最も大事なコトだと思います。
しかし、特に、Mac関連機器が新発売になると、
どうしてもデザイン評価とともに自宅内システムが変わります。
そこで、新たなAirMac機器に変更すると同時に、
自分だけのCloud化を開始し出しました。
出来る限り、自分のパソコンからケータイ、パッドまで、
自分流にすることにしています。
また、そうしたことが出来る時代になりました。
私は、自分の研究でも「アンビエント・アライアンス」を提案。
この具体例はそのまま今後も展開していくつもりです。
いずれは、「メディア・インテグレーション」の世界は、
無論インターネットや自分のCloud化が重なるものと思います。
5GのWiFi環境下が、
本当に身体への影響を与えているかどうかはわかりません。
可能ならば、部屋壁面にはすべて水を流したいと思っています。
大阪大学の自分の研究室も「壁面に水を流す」と言い張りました。
文科省相手に出来るわけがなかったのですが、今でも私の夢です。
モニターも液晶表示画面が身体影響、視覚眼球影響などは、
それなりに明確になりました。
最も大きな影響は、「ドライ・アイ」問題です。
これは、私の次期眼鏡フレームデザインで正解商品化します。
ともかく、Wifi環境と自己Cloud化は、
これからのパソコンやその他のコンピューター機器制御に、
自分なりのシステム構築ができるかどうかは既に一つの趣味です。
そうして、これから一番の問題は、
「身体性との関係」だというのが私の提案。
一つは、循環器系や免疫系などとの環境調和だと思っています。
パソコン環境と身体の健全性確保が、今、私たちのテーマです。


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「シリコングラフィックスを使っていた頃」


   


     9月 19th, 2012  Posted 12:00 AM



「コンピューターの時代が来る」、
この予測は東京から福井にもどった1980年だったと思います。
Apple IIj・Apple IIcから1984年Macintosh 128kと同時に、
UNIXに出会います。UNIXも二つのバージョン共存時代です。
ちょうど、福井銀行がNew York支店を開設するので、
そのインテリアデザインと海外C.I.に関わりました。
「川崎さん、お金は使っても大丈夫ですから」。この一言で、
私はIRIS3030をニュージャージーのSGIブランチで発注しました。
当時で7000万円でした。日本では1億4000万円だと知っていました。
その頃は、Apple製品でも米国のコンピューターは2倍していました。
銀行はとても驚いたようでしたが頭取決裁で、
私はなんと2台を7000万円で手に入れたのです。
「日本からは商社マンしか来ないが、
クリエーターが買ってくれるなら宣伝で2台持って帰っていい」と
副社長が決断してくれました。
福井と東京にIRIS3030を置きました。
そして福井 – 東京に特別回線まで引いたのです。
当時のこの詳細をもっと記録しておくべきでした。
日本政府は「シグマ・プロジェクト」をスタートさせていました。
私は成功するはずがないと思っていました。案の上失敗しました。
EWSが必要だったのは、 
3D-CADと光造形システムを自分でやってみたかったからでした。
運良く1996年に、
名古屋市立大学芸術工学部が新設され私は大学人になりました。
コンピューター環境の購入やネットワーク構築の担当になりました。
そこで、シリコングラフィックス社のindigo・Indigo2・Onyx・Octaneと
新製品発売毎に新規にしていくことができました。
芸術工学部の1, 2, 3期生は、これだけの環境が整っていましたが、
気づいていた学生は僅かだったはずです。
トヨタ自動車が初めてEWSの使えるデザイナー募集を一回だけ行いました。
その時の機種はOctaneでした。
このOctaneではUnigraphicsが走りました。
I-deas・ CATIA ・Pro/ENGINEERでは
「メビウスの輪」の作成が困難でした。
しかし、Unigraphicsは当時はほぼ万能と思える3D-CADでした。


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「ブリューゲルが描いた盲目の人たち」


   


     7月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM



目の不自由な方・盲目の人を描いています。
この絵画には二つの意味があると言われています。
すべて盲目の人たちが列を成して歩いていると、
池の中に落ちてしまう、という構図です。
これは、盲目の人の行動を描いたわけではありません。
健常者が無知なまま行動すれば、
それも無知な健常者の集団が行動すると、
とんでもなく、まるで池に落ちるように、
大失敗するという、その教訓的な意味の表現です。
そして、もう一つは当時、盲目の人には、
これだけの種別があるという表現です。
まず、先天的な盲目の人と後天的な盲目の人、
それぞれの容貌が描き分けられていて、
当時の特に後天的な眼病の結果表情があるらしいのです。
まさしく、教訓的な意味の絵画性=教訓性は正解です。
というのは、特に、先天的な盲目の人は、
決して池に落ちるわけがないのです。
余程、健常者の人の方が、
見えず、感ぜずが確実に多いはずです。
白杖一本で、自分の歩行環境を感得する能力は、
健常者の人よりはるかに高いと思います。
ブリューゲルは、盲目の人たちが池に落ちるという表現、
それは無知なる健常者こそ盲目だということを教訓として
ずばり描き切っていると言うことです。



これは世界盲人会連合で1984年に制定された、
視覚障害者の人たちが安全やバリアフリーを考慮された
環境・機器・設備から信号機、書籍に表示されています。
しかし、このマークの機能性は私には不明です。
健常者に向けての注意喚起・思いやりの発揚でしょうが、
私はもっとデザイン精度を上げる表現知恵不足を感じます。


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「哀悼・スティーブ・ジョブズ氏」


   


     10月 26th, 2011  Posted 12:00 AM


生と死に向かい合うこと。
それが自分の人生で最も重要なことでしょう。
しかも自分の人生に多大な影響をもたらしてくれた人。
その人の急逝が、自分に突きつけてくることは巨大です。
Appleの創業者であるジョブズ氏の行動力と実現力は、
ことさら私自身と私の日常性、さらにデザインを
常に深く見つめることが私の人生に重なっています。
Apple II・LISA、そしてMacintosh128Kから、
今日に至るまで私の傍らには、
進化し続けるApple製品がありました。
しかも私は今では伝説となったジョンスカリー氏と
さらにアランケイ氏、そしてIndustrial Design Teamと
七つのProjectに関与しました。
その時には、ジョンスカリー氏はジョブズを、
Appleから追放していた頃でした。
ジョブズ氏が舞い戻って、iMacが華々しかった頃には、
彼と会うことを周囲からも勧められましたが、
ポリカーボネート素材製のiMac否定派だった私は、
会いませんでした。
1984年、Macintosh128Kのプレゼンテーションを見ると、
ことさらに彼に会っておくべきだったと悔やみます。
いわゆる「アメリカンドリーム」具現者として、
彼は語られますが、私はそうは思っていません。
彼は米国なら夢が創出できることを証明した人物です。
それは米国という自由風土性ではなく、
夢は、いかにハングリーで、いかに馬鹿に徹するかを
米国人として見事に体現して見せてくれた人物でした。
彼には限られた時間内での生と死を見つめたでしょう。
私もすでに残されている時間を意識しています。
パソコンは確かに進化と進歩を遂げてきましたが、
WYSWYG=What you see is What you getの世界観は、
まったく不動であり、進化しているとは思っていません。

私は彼の人生に深い敬愛と哀悼を持ち続けることでしょう。


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『資本主義からの逃走』
 「色彩感覚とCAD感覚・05」


   


     1月 23rd, 2010  Posted 6:00 AM

Claris CAD
ALIAS本社でのCGトレーニングと同時に、
私はパソコンをデザインツールにすることに没頭。
2D-CADを追いかけていました。
最初に福井キヤノン社長=高校時代親友が、
Canonのパソコンを持ち込み、
プロッターまでそろえてくれました。
だから、当時は、相当高額だった「ワープロ」まで、
彼は提供してくれました。
結局「Claris CAD perfect manual」を上梓するまで、
のめり込んでいたのです。
この本はすでに廃刊ですが、
日本で最初のCAD教則本であり、
当時のパソコンCADについて米日での私の比較論を
書き上げていると思います。
なにしろ、MS-DOSからMacでの2D-CADは、
私を3D-CADに、
今では4D-CAD開発にまでいたっているのです。
1984年のMacintosh以来、ズーッとMacですから、
一時期は、NeXTSTEPもありましたが、
Mac OS Xになって、EWSのUNIXも、
私の体験の中で培われたのだと思います。
今、bit世界に、「点・線・面」思考も、
bit色彩感覚論も、
私のデザイン手法を再構築し直してくれました。
よく、「コンピューターでデザインが変になった」、
とか言われる方々がおられますが、
それは「まったく間違っています」。
コンピューターに向かえば向かうほど、
そしてコンピューターでの限界を知り尽くせば、
「本来のデザイン」を二つの視点から捉え直すのです。
その結果が、
私が「手描きスケッチ」の重要さを主張するわけです。


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