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Posts Tagged ‘2D’


『2Dから3Dへの視線は動線になる』


   


     2月 10th, 2020  Posted 2:00 AM

眼球は唯一、一部むき出しの臓器です。
目で見る、視る、観る、覧るといったその生理と機能があります。
絵画の瞳は、2次元で表現されていますが、
レオナルド・ダ・ビンチは、解剖の経験を絵画にまで持ち込みました。
モナリザの視線は、追いかけてきます、
モナリザは、どこから見ても視線が合うのです。
視線が合うダ・ビンチの絵画は2次元から3次元の表現となり、
それは彼の功績です。
したがって、液晶TVでも2Dと3Dが間違っているのがあります。
遠景がはっきりと見えるのは、大きな誤りです。
以前、私は依頼があっった選挙用のポスター撮影に立ち会った時、
鏡に視線を送って撮影し、視線が合うつまり3次元の表現を作りました。
鏡の像を反転したポスターで、
どこからでも見つめる視線を持つ選挙用ポスターの完成です。
そして目で見る、映像のモニターとその画づくりはもちろん、
長年、私はメガネをデザインしてきました。
メガネの由来はいろんな話がありますけど、
「目の差し金」だと言っています。
そもそも依頼された企業には、
皆アイバンクに登録することから
デザインに取りかかりたいと言いました。
有難いことに、私はダ・ビンチのように解剖を経験でき、
私は目周辺の筋肉、血筋、リンパ線を知っています。
そろそろ、こういった目のメガネへの知識と知恵を
めがね産地の福井と鯖江のデザイナーに
全てを受け渡したいと思っています。


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『「ドラえもん」映画評コメントに卓越した文章を発見』


   


     7月 20th, 2014  Posted 12:00 AM

私の世代にとってロボットは「鉄腕アトム」、「鉄人28号」です。
日本のロボット学者では小学校時代に「鉄腕アトム」だった人が
相当いますが、私は、のちのちに登場した「ドラえもん」はスゴイ。
そのドラえもんが、しかも、山崎貴監督(一緒に講演会経験あり)。
彼なら、CG撮影の技術力はすごいですから、期待できます。
「アナと雪の女王」はディズニーの3D表現が相当に詳細でしたから、
日本の2Dアニメは明確になっていました。
結局、映画では3D表現の立体観は進化したと言わざるをえません。
新聞広告で、日本の話題的な人物が、この新作映画評が出ました。
私は何気なく一読しましたが、この映画評コメントに、
卓越した文章力・文体性・コピー能力のある人物を発見しました。
(そうか、この人物3名は流石だ!)と読み直してしまいました。
文体性では、観て感動しました、では表現力不足です。
所詮、漫画であり、2次元が3次元になってのアニメーションです。
無論、映画ゆえ、笑って泣いて感動を!というのは商品戦略です。
だから、観て感動しましたなんていうのは誰でも書けます。
広告コピーとしてはそれを書いた人物の有名性だけでは不十分です。
「ドラえもん」はそれぞれの人物の人格の感性とどんな関係?
これが重大骨子でなければ、ありませんし、
読者としては、「え〜、このような見方を教えられた」という、
まさにまだ観ていない私たちに、彼らの印象記述が、
たったこれだけの文章量で、そうなのか、ここまで観るべきとは、
この記述をしてくれた人物がいましたし、だから彼らの有名性には
私は大きな納得と安堵をしたのです。
そして、ドラえもんグッズを見逃してこなかっただけに、
この3人のコメントだけで、3Dアニメーションは多分、
これからのアニメーションを大変革してくれると大期待できました。

ドラえもんグッズ
ドラえもん時計
ドラえもんウォッチ


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「光造形と3Dプリンターでクラインボトルはなぜか?」


   


     5月 22nd, 2013  Posted 12:00 AM

これは厳密にはいわゆる数学でのクラインボトルではありません。
しかし、3Dの造形においては、
「造形システム」での手法や装置が極めて重要です。
たとえば、
なぜ、Desk Top Publishing=DTPが時代要請だったのだろうか?
この質問に戻らなければなりません。
DTPではPostScriptというOSが無償でユーザーに供給されました。
結果、PageMakerというレイアウトソフトは1986年に生まれ、
Illustrator88がその期待の元に出てきました。
世の中はレーザープリンターの印刷精度値を進化させるのです。
商店街から「軽印刷業」が消滅を始めました。
これは2Dの「版」離れを意図した世界観的な存在感、
少なからずパソコン自動製版と呼ばれた革新でした。
同時期に日本では光造形という実験成果で特許を求めましたが、
見送られた現実がありました。
2Dの世界観を3Dに求め始めるのは当然でした。
その一人がデザイナーの私だったのかもしれません。
明確にニュージャージーのベンチャーとプリンストン大学が、
「歯車」をすでに実現していました。
私は、この装置が欲しく、3D-CGと3D-CADを学ぶために
ベンチャーの本社(トロント)で二夏訓練を受けました。
3D-CGでは、Natural Phenomenaという
今では当たり前の、水と水飛沫や燃える火、夕焼け表現でした。
しかし、私の頭の中では、金型=「型」から解放される、
そんなモノづくりを夢見ていました。
光造形のクラインボトルは、
「何のため?」とどれだけこれまで聞かれたことでしょうか?
想像力のある人は、
金型では決して出来ない自由な表現や実務対象を見つけました。
そこで現代では拳銃やマシンガンさえ3Dプリンターでの
実現可能性が明確になり始めてしまいました。
わが国、日本の技術進化=「技」の系譜は、
はっきりと光造形の下敷きの上に、
3Dプリンターの「技」が確かめられることが分かりました。
このクラインボトルの形態を自由に変形させ、
かつ様々なイメージをそのまま造形化するのに、
廉価な3Dプリンターでもここまで出来ること、
これが重要だということです。


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