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Posts Tagged ‘Gマーク’


「大学の講義で究極を学ぶ、Eminent Scholar College」


   


     7月 13th, 2013  Posted 12:00 AM

私は大学人になって基本は講義をしてきました。
もちろん、デザインですから、実習・演習・訓練がありますが、
阪大では教養科目的にデザインの意味・定義・先端性の講義では、
学生に一般人が混じることで、学生の意欲が全く異なります。
だからなるべく一般人を講座に招くことを考えてきました。
結局、「大学で何を学ぶか」ということの本質が分かりました。
それは「私自身が教授達から学びたい」というのが結論でした。
明言すれば教えることで教わることの本意を知ったのです。
私自身、「学ぶこと・知ること・磨くこと」については、
大学は最高の場だったということです。
教授職になってからは、ことさら、恩師や年上の教授たちから、
「学び直したい」と思い込むようになったのです。
そこで、こうした教授たちから「学び直したい」という想いが、
「Eminent Scholar College」を創りたいと考えたわけです。
Eminent Scholarというのは、フィラデルフィア大学で、
生涯教授や大学の有名教授職のタイトルでした。
大学人になって、「大学で学ぶこと」その真意は、
教えるほど教わる重要性を自分自身が実感した次第です。
そこで、すでに大学人になっている後輩たちに、
この特別な講座を開講するコアメンバーを呼びかけました。
絶対にやらせたいと思っている後輩はいわば脅しても・・・です。
そしてなんとしてももう一度受けたいと願ったのは、恩師でした。
私の恩師は敗戦後、官僚でありながら米国で、
「デザイン」を学び、日本にデザインを伝えた
第一人者です。
Gマークの創立はじめ、デザイナーとしても先端的なデザインを、
国内で最初に始めた人物であり、
私がデザイナーになれたのも、彼の厳しい指導を受けたからです。
彼から「デザインを学んだ者しか」、真の造形は不可能です。
そして、もっともっと聞きたいことがあります。
だから、まずは彼の講義中心からこの講座をスタートさせます。


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「10年使用すると、そうだったのかということ」


   


     8月 17th, 2012  Posted 12:00 AM

私は車椅子になってから車を所有しました。
いわば男の子としての車への趣味性は一応満足しています。
工業デザインを学んだ者としては、
車はまさにカーデザインとして興味は人並み以上です。
教育者として、カーデザイナーを育成しました。
今現役デザイナーとして車メーカーや
そのメーカーの海外デザインセンターに赴任しています。
私自身どれだけの車に乗ってきただろうかと思い起こすと、
結構な車種所有と使用経験があります。
しかもすべてが手動用に改造しましたが、
これには国内事情が絡んでいて一家言持っています。
さらに個人的には運転手も雇っていましたから
ハイヤーの運転手程度の運転技術を知り尽くしています。
正直、国産車は一度も所有はしていません。
自分用に相当に改良をしたり、キャデラックのロングリムジンは、
クライアントからプレゼントされて乗っていた時期もあります。
現在は夫婦2人なので、ベンツSL500一台だけです。
先般までは、S320を徹底的に使っていました。
そうしたら10年使用ということで、
ダイムラーベンツから感謝状とメダルが届きました。
友人からベンツにはこうしたサービスがあると聞いていましたが、
それなりに嬉しいものです。
私は絶対にベンツには乗らないと思っていましたが、
ある時、車に詳しいスタッフの薦めでショールームに出かけ、
しかもGマークでSLKを確認してその発売されて以来、
セダンからワゴン、スポーツタイプと乗り継いできました。
おそらく、今乗りたい車は2種あります。
これを所有すれば、
私の生涯と車体験はとても幸運だったということになります。
そして、10年も工業デザインとしての成果品ユーザーへの感謝を
企業がサービス制度にしていることは嬉しいことです。


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「また、新たな展開だ・・・」


   


     8月 7th, 2012  Posted 12:00 AM

2001年、私は彼と出逢いました。
その年に私はGマーク選定の総合審査委員長でした。
商品内容について、説明を求める審査に加わりました。
その会場に、まるで異様な若者集団が現れました。
サラリーマン的なグレー色の中に、
髪は緑や金髪で、ロックグループのような若者集団でした。
だから、私はようやくGマークにも
このような集団が来てくれることをとても嬉しく思いました。
その集団のリーダーは、当時、25歳だったと思います。
彼も、指輪してブレスレット、長髪の私が
審査委員長だったことにビックリしていたと後で聞きました。
部門別審査委員会では、彼らの商品には、
「インタラクションデザイン賞」と
グランプリ候補にと、すでに決めていてその確認でした。
私は、彼らに聞きました。
「どこで売るの?」、と。
「秋葉原です」
「じゃ、秋葉原ではインタラクションデザイン賞では通じないね」
「でしょうね」
「分かりました。分かりやすく『中小企業庁長官賞』なら?」
「それなら説得しやすいかも」、ということで、
グランプリ候補にもなりました。
授賞式では、私は大企業に向けて、ある演説をしてしまいました。
「商品説明が時代遅れになってきています。
是非とも『デジタルステージ』の商品内容、
特に取説に注目してほしい」と。
結果、「取説だけほしい」と言ってきた大企業があったらしいのです。
もう彼は一児のパパとなり、
まさにSNS時代の寵児になっています。
原発問題でもさかんにオピニオンリーダー的発言をしつつ、
彼のUstは、websiteづくりにはたまらない人気番組になっています。
改めて、新作を出しました。
まだ内容は確かめていませんが、
それ以前に仕上げていた著作もヒットしたようです。
私は、彼を大学で講師に招いたこともあります。
とことん、自分が欲しいモノを実現していくさわやかさは、
今もまったく変わっていません。
大阪で合宿するように彼に求めています。


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『資本主義からの逃走』
 「*貿易国策の一つがGマーク賞制度、その審査委員資格*」


   


     2月 21st, 2010  Posted 1:00 AM


Gマーク賞選定審査委員資格

私はGマーク賞のベテラン審査委員になっていました。
それから審査委員長を3年努めて選定委員を卒業しました。
17年間審査委員でした。
審査委員のベテランになったときに、
「そろそろ自分らの世代に任せてくれませんか」と、
言われたことがありました。
だから、委員長を務めて彼らに譲りました。
はっきり言いましょう。
それからのGマーク選定の「質」は、
見事に低下し続けてきました。
インハウスデザイナー=企業内デザイン現場からは、
「あいつの能力で審査なんて、応募する気もない」とか、
「素材や成型や、基本も知らない素人もいるじゃないか」
「窓際のGマーク担当は、ミラノに海外出張できるのか」
などなど、私に聞こえてくるようになりました。
「Gマーク選定の質」、
その低下は「日本のデザイン」を直喩象徴しています。
私は、60年になろうとするGマーク賞制度は、
やはり、
「プロ中のプロ」が審査すべきだと主張しておきます。
「デザインを実現したことも無い審査委員は要りません」。
「審査委員会を途中で、自分のが選ばれないから辞任」。
「デザイン評論家めいた自称・デザインコンサルタント」。
こうした連中は、「日本の貿易国策」より、
私欲優先者は関わらせるべきではない!と裁決します。
名刺に「Gマーク審査委員」と表記する者は論外です。

美しいモノとともに生きれば、
美しく死んでいくことができる。
                        岡倉天心の言葉です。

おそらく、デザイナーすべてが「日本のデザイン」は、
すでに、韓国や中国、アジア圏内で能力を失いつつある、
ということを感じていない者はいないと推測します。

もう、これまでのデザイン対象などは、
追随してくる新興国家に任せればいいのです。
「デザイン領域の拡大」を成し遂げるべきなのです。
すでに、次・次世代は「感じ取っています」。
したがって、
私は、かつて私の次世代に、
Gマーク賞制度を手渡したことを激しく後悔しています。
つまり、Gマーク賞制度の審査委員資格は、
「プロであり、デザイン対象を拡大できる才能」です。
「才能無き」審査委員を選外すべきです。


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『資本主義からの逃走』
 「iPadがまた拡大させる!?・批判or批評or非難、
               iMacの私の経験から」


   


     2月 5th, 2010  Posted 2:37 AM

iPadだ!
未来 見えているか?

iPadのNewsは様々な批評や期待で一杯です。
Apple社、ジョッブス氏の活発さに惹かれます。
そこには、いつも私たちは未来を見るわけです。
現代、こうしたNewsが、
多大な問題いっぱいの世界をやや救ってくれています。
それは閉塞感満ちあふれる日常での救いでしょう。
かつて、私はiMacを100人評価する雑誌で、
唯一、「ゴミだ!」って発言して、
ほとんど日本中から袋だたきに遭いました。
さらに、Gマークでも金賞候補からはずす主役でした。
問題点は、三つありました。
一つは、すでにあのモックアップは見ていましたから、
がっくりしたのです。
環境ホルモンと流行
ところが、
理由はそれが、ポリカーボネート製でした。
これが二つ目の理由でした。
ビスフェノールAという環境ホルモンの問題です。
今では、ポリカのリサイクルシステムもできましたが、
当時はビスフェノールAだ!って叫んだのは私だけ。
さらに、これがカラーで透明だったので、
おそらく日本の様々な文具から何にでも、
流行現象」が蔓延してビスフェノールAに無頓着、
というのを、一人でも食い止めたいと思ったからです。
まあ、脅迫メールは届くは、
ポリカ業界からも散々な目に遭いました。
この時にも、私は自分を「職能家・デザイナー」を、
絶対に押し通そうと言い聞かせて、耐えました。
結局、「流行」は去り、ポリカのビスフェノールAは、
WHOから、「懸念ある素材」となり、
産業界はリサイクルシステム無しには、
素材使用は自粛されました。
「川崎は理詰め」と言われますが、
理性と感性には、順位があります。
「理をつめなければ、けっして感性優位は排撃すべき」
というのが、私のデザイナーとしての信念です。

私は、iPadには、二つが無かったと思っています。

「新素材・made in Japanを知らなかったこと」
「清潔感をコンセプトにする」

ということです。これは「批評」です。
それでも、iPadが、「iPod」がデカイだけ、
というのは、非難であり、未来が見えていません。
これは駄目でしょう。
私は、私の批評ポイントをはずせば、
やはり、「やられた!」といわざるをえません。
そして、必ず、私の二つの批評が合体するモノを
最も希望しています。


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『資本主義からの逃走』
 *「無思考とは、思考無しではない、
   思考空であろう」*


   


     2月 1st, 2010  Posted 1:00 AM

無思考
私はほとんど外出してデパートやショッピングモールなどは、車イスになる前から、好きではありませんでした。ミッドタウンをワイフに車イスを押してもらいつつ、いわゆるデザイン系ショップを久々にのぞいて見ました。デザインは、相変わらず「進化」がありませんでした。学生たちが憧れているモダンデザイン系ショップに陳列されているモノに、愕然としました。1960年代よりは素材がカラフルだったり、プラスチックや電気回路が進歩したから、「ソレナリ」のモノがこれほどコピーされて氾濫しているとは、驚きでした。まるで、浦島太郎の心境になって、もう本当に目眩がしました。外出して、書店に行っても、あまりのカラフルさは、車イス視線からでは、目眩がします。まして、コピー製品があまりに「それっぽいデザインした風」なのですから、耐えかねます。また、店員さんの商品知識も格段に低いと思いました。せめて、これぐらい知るべきでしょう。カタログにも肝心な性能表が無くなってきています。それは駄目でしょう。企業の商品化能力を疑います。また、あるアイテムの展示会に招かれました。有明ビッグサイトでの見本市企画企業から、あらたな業種の展示会へのアドバイスを、ということでVIPカードで見て回りました。流ちょうな日本語の外人からいっぱい声をかけれられました。なんとしても商談!という意気込みです。比して、肝心な見本市担当者の無口なことにあきれました。これじゃ、凋落する産業のさらなる凋落が予知出来ます。ともかく、思考していない=薄思考です。これを私は、無思考とは言いません。無思考とは、思考が「無」の状況や事態を指示していると私は考えています。なんでもいいから、まだ一度も使ったことの無い、edyカードで買い物をしてみたかったのですが、「欲しいモノ」がありませんでした。いわゆる今、旬の若手デザイナーの作品である商品も、デザイン設計で、「金型チェック」もしていないのでしょう。3D-CADやCGレンダリングなら、多分、「カッコ良かった」のでしょうが、さらに中国製となると、成形精度も格段に悪くて、これは必ず経年変化を起こすと見抜けてしまいます。さらに、恩師の名作も、カーブや板厚も微細に変貌しています。もはや、高齢になられた先生の眼力チェック無しの復刻品も見かけました。これが、現代の日本の商戦現場だとするなら、どうやって、立て直すべきかと考えさせられました。明日、Gマーク賞制度審議委員会があります。この私が最年少ですから、今年の「Gマーク賞制度は、国際化戦略」の一つの核心となる「戦術」にしていきたいと考えています。私の発言が了承されるかどうかは不明ですが力説します。よって、審査委員も少数精鋭で海外審査委員を投入することを、私の私見として発言するつもりです。昨年のある事件見解も、公表すべきことは、審議委員会からだと私は考えてきました。ある種、審査委員がデザイン界のエリートならば、「敵前逃亡」や「自分勝手さ」はNoblesse Obligeも果たせなかった審査委員資格は審議委員会にての裁決をしなければならないしょう。なぜならば、「Design made in Japan」を象徴化しているGマーク賞制度は、一つの国家戦略です。だからこれは、日本の産業から現代文化の最前線でもあると考えるからです。「無思考」は「思考空」だとも考えています。思考結果がデザインとなり、無思考結果がデザイン効果であるとするなら、思考空は、デザインへの憧憬になります。憧憬は常に潔しが基本です。
思考空


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『資本主義からの逃走』  
*「2009年は華甲でした、だからこの発言です!」*


   


     12月 30th, 2009  Posted 10:00 AM

華甲之一年

1949年生まれ、60歳の私にとって、
2049年を体験できるのだろうかと思います。

おそらく、様々なデータから私なりの予測では、
2030年以後の、
地球自然環境と、国際的な政治支配構造に
大きな変貌と変質化が、起こるかも知れません。

その文脈の要因に、
私は「資本主義と民主主義というイデオロギー」への
職能的な経験から、ここでの「発言」をしています。

今年は、
●外務省・国際交流基金から、シカゴ領事館の企画で、
DESIGN made in japanを米国でプロパガンダしました。

●韓国では、IASDR2009にて、基調講演をしました。

●デザイン界では、グッドデザイン審議委員会にて、
グッドデザイン賞制度の改革案の議論を尽くしました。
大学人としては、

●関西海洋教育アライアンスの教育も2年果たしました。
当然、大阪大学の教員としての講義は全力で努めました。
デザイン審査や各地での講演も引き受けました。
そして、

●人工心臓から、再生医療と人工臓器のハイブリッド研究。

●看護体制の基本調査。

●フォトニクスの医療機器展開。

●オックスフォード大学から持ち込まれたレンズ開発。

いのちと向き合うデザイン

全て、「いのちと向き合うデザイン」を意図しています。
そして、
知人や友人など「癌」で亡くなった方々を見送りました。

私は、「いのちを守るデザイン」とは、表現できません。
「いのちは守るのではなく、護る」ことはできるでしょう。

守る・護るより向き合うデザイン

しかし、デザインという職能は、「守る・護る」より、
「向き合う姿勢と態度」でなければなりません。
そのためにこそ、
日本の科学と技術が、「産業と情報革命」するべきです。
その根底に、
日本の伝統的文化と日本人の心情感性が、
保守と革新の均衡性=バランスが必然必至なのです。

大きな不安と心配が立ちはだかってしまいました。
日本の世界的立場や発言力の低下です。
日本のデザイン界が、日本の大学教育が、
担うべき役割の自覚、すなわち姿勢と態度です。

だから、
私は一人のデザイナーとして、大学人として、
この発言を来年も続けます。
来春には、まず、デザイナーとしての作品=製品で、
発言を始めます。


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『資本主義からの逃走』
  「Made in Japanの復権は、売国奴たちの追放である」


   


     12月 27th, 2009  Posted 6:00 AM

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3.4年前に、JISマークの審査をしたことがあります。
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JISマークが、
コピーされていることが歴然としてきたからです。
無論、それがどの国かはおわかりになるでしょう。
したがって、マークは2mm以内でも視覚確認が可能。
だから2mm以内で刻印や印刷ができることでした。
しかし、すでに、
それだけの工業技術は確立しているものと推察します。
私は、グッドデザイン賞・Gマークは、
新たなJISマークでもあると考えています。
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Gマーク「賞」とまで言わなくてもいい、
という意見も多く聞きますが、
あえて、Good Design Awardという権威が必要だと、
私は思っています。
私は、ほぼ独裁に近い国家体制には、
「倫理観」・「品位の自覚」・「自負心」はこうした国家には
絶対に無いものと判断しなければならないでしょう。
そうした国で、「安かろう、悪かろう」が「モノづくり」を
自己金銭欲で携わる輩は、売国奴(Traitors)です。
私には、Traitorsの条件を設定しています。
かつて、わが国も、「モノマネ」国家でした。
それを払拭する倫理観の証明からGマーク制度が
スタートしたわけですが、
明らかに「勤勉であるモノづくり」とその「正当対価」の
自覚を当然としてきました。
それこそ、資本主義というイデオロギーのある種、
仕掛け、仕組まれた制度だったと思いますが、
私は、これを容認しています。
しかし、その資本主義の制度を転用すれば、
「商売欲」を正当化もできました。
しかし、その歪みは、「金融資本」という「モノ生産」を、
明らかに制御する運用手法の謀議すらOKとしたのです。
もし、私が愛国心で語る「神の国」、「花綵の国」の
伝統や美学を護るなら、
様々な「防衛策略=Intelligence Design」は不可欠です。
よって、
独裁国家や、一党支配国家や、
私が一方で否定論を語る、反「民主主義国家」へ、
わが国を売り渡そうとするTraitorsは、国外退去、
まさにEXILEさせるべきと考えています。

EXILE

ある種のトリックスター的な風潮が、そのまま、
現代日本の哀しさをあらわしているのです。


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義から離脱してきたデザイン」


   


     11月 26th, 2009  Posted 8:00 AM

私は金沢美術工芸大学の出身です。
「産業美術学科・工業デザイン専攻」でした。
明らかに、
産業=資本主義への献身性への教育です。
「インダストリアリズム」=工業下意識主義を
下敷きに「デザイン」を学びました。
しかし、決して、
産業美術的な教育を受けたわけではありませんでした。
それが、大きな財産となっています。
常に、「トレーニング=身体性でのデザイン技術」の
習得と「理想主義としてのデザイン美」でした。
いわゆる実技は、「平野門下生」として、
徹底的に「身体化」されてきました。

●デザインストローク
●スタイライゼーション
●フィッシュボーンプランニング
●ジョイントワーク
●ファスニングシステム
●レタリング

自作モデリング、がほとんど「平野門下生」が、
基礎・基本としてマスターさせられました。
したがって、
本当に「造形デザインが出来るデザイナー」は、
こうしたトレーニングを身体化できた連中だけです。
日本の少なからず、産業デザインで、
「商品デザインの造形」は、このトレーニングを
受けた者だけ、というのが私の持論です。
しかし、
インダストリアリズムの終焉とともに、
「デザイン職能」は、時代的に大きく変貌しています。
私は、産業デザインとは、
「欲望の刺激装置」と言ってきました。
つまり、「欲しくさせる装置を仕組むデザイン」です。

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「インダストリアリズムの終焉」という副題で、
私は「プラトンのオルゴール」という著作と、
展覧会をしました。
1994年のことです。

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1994年・ギャラリー「間」での「プラトンのオルゴール」個展

2006年、この個展でのインスタレーションは、
「作品」・「スケッチ」・「展示計画」が、
金沢21世紀美術館に永久収蔵されました。

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2006年の永久収蔵から2008年一時常設展

1996年、名古屋市立大学芸術工学部が新設。
この芸術工学部では、
「産業」を「健康」の基盤にする「デザイン」でした。
89年・ベルリンの壁崩壊。
91年・ソビエト崩壊。
こうした時代変遷の予測は、
私はすでに、美大で「産業美術学科」でありながら、
柳宗理先生、平野拓夫先生
平野先生は最初の国費デザイン留学生であり、
Gマーク制度創設者の一人によって、
「身体的に」たたき込まれていたと考えます。


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10月17日Staff Blog 1/2


   


     10月 17th, 2009  Posted 11:29 PM

10月17日 1/2

BOSS(川崎和男)の鉛筆削り、
プラスコラ。
もともとは、
スコラ、ラテン語Schola「学問」という
ステンレス鋼一体型の
鉛筆削りがありました。
製造は、750年の打刃物の伝統を受け継ぐ
タケフナイフビレッジです。

刃以外を、プラスティックにしたので
プラ-スコラとなりました。

美術の教科書に掲載されている他、
グッドデザイン賞
2005年MoMA SAFE展にX&Iとともに
招待作品、永久収蔵作品です。

来週からの韓国デザイン学会に向けて
子供たちへのお土産に準備しました。

091017plaschola11


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