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Posts Tagged ‘MS-DOS’


『プログラミングという作法は美しい』


   


     3月 2nd, 2017  Posted 12:38 AM



久しぶりにプログラム列を読んでみました。
といっても、もはや、自分には無理になっていると思います。
これは最近、バージョンアップをしたiPhoneのアプリです。
コンピュータとの出会いは、社会人になった時、
FORTRANとCobolでの研修を受けたときから始まりました。
それ以後、懸命にはMS-DOSを英国のシンクレア社のZX81を手に入れて、
それで「時計」をプログラムで制作してから、
結局はLOGO言語に行き着いて、
一段とコンピュータの世界に入っていきました。
おそらく、IRIS3030(一台7000万円)を米国で二台も買い取りというか、
日本のクリエーターが買ってくれるなら
もう一台持って返っていいということで、
福井と東京に特別回線を引き、その企業も立ち上げましたが、
それ以後のコンピュータ、ネットワーク企業の闘いは大変なものでした。
結局、CGでの表現もその現場で見たり、
そこで光造形にも出逢ったわけです。
そういう意味では、
コンピュータの世界でデザインをApple社でもやりました。
それだけに今ではなんとかデジタルからアナログの取り戻しが必要と判断。
電子ペンやPadでのスケッチにも慣れていますし、
デジタルでの色彩論などもApple銀座で講習をしたこともあります。
それこそ世界デザイン会議1989ではコンピュータとデザイン部会担当でした。
今では、スマホやApple Watchが手放せ無くなってもいます。
世情では、IoT やBig Dataが極めて喧噪な風潮の中で、
見失っていること、さらにはデザインとコンピュータ、
つまり、「情報」そのものとデザインの関係も希薄になっているようです。
ともかく、このアプリのプログラミングをプレゼンテーションでは、
エンドロールのごとく表現してみようと考えています。
それは、プログラムとはまさにコトのデザインですが、
忘れられているのは、モノのデザインである、パソコン、Padなどのモノ、
こうしたモノのデザイン、その造形が貧しくなっていると評価しています。
プログラミング的に表現すれば「造形エラー」に無頓着になっているのです。
このプログラミングは、果たして「かわいい」でしょうか?
ハードとソフトの関係には明確な作法美があることを見直すべきです。



* 「数理造形から見えてきたAtom時代の終焉 ・01」
* 「シリコングラフィックスを使っていた頃」
* 「コンピュータを強く認識したときの人物と試作デザイン」
* 「もう一つの言語を教えていた昔・ロゴレゴのこと」
* 『電子ペンはすっかり日本開発が海外に負けている』


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『コンピュータからの離脱がこれからの日本の産業』


   


     1月 10th, 2017  Posted 12:00 AM



1982年にはMS-DOSをシンクレア(Sinclair ZX81)で独学。
1984年Macintosh128kを福井キヤノン(高校時代親友が社長)から貸与。
1988年にはSilicongraphicのIRIS3030を米国で購入しました。
何と言っても2台を入手、資金?、なんと福井銀行に購入後報告しました。
New Yorkの支店担当者(高校の先輩)は仰天、頭取は 仕方なくOKでした。
これでUNIX(当時は2つの系統)とALIASでCGを学ぶと、
光造形の歯車を見て、「これが立体になるかも」と直感しました。
1996年新設の名古屋市立大学芸術工学部で、
2億円の光造形システムが装備され、10年後4億8000万までの日本一設備。
生田教授(現・東大)が、マイクロナノ技術開発で歯車を製作、
おそらくこのことが日本の光造形の最初だったはずです。
1985年から1991年までは、毎年米国に行っていました。
私のパソコン・EWS・光造形をデザイン道具にする多分日本初のこと。
IRIS3030は7000万円もしてHard Diskは70Mの時代でした。
そして今や3D-Printerが登場しました。
間も無く家庭にも設置する時代になるでしょう。
光造形で歯車が出来たときには、
同時にCGは水・水滴、火・炎、そのプログラム構成を見ていました。
それは、VTRで撮影した映像をCG化する積み重ねでした。
SIGGRAPHでは、日本からは2名と2社が研究成果を見せていました。
MacとEWS、そしてCAD/CAMはすでに6D-CADに至っています。
が、まだ自分は4D構成はまとまらず焦っています。が、
3D-Printerそのモノに向かって開発するメーカーは、
国内で世界的にも遅れています。
しかし、私には、IoTや3D-Printerが日本の基幹産業には決してならない、
この予測が毅然とあります。
まして、BigData、 Deep Learning、AIも日本の産業ではありません。
このことを、とりあえず、このブログと「KK適塾」で紹介するつもりです。



* 「数理造形から見えてきたAtom時代の終焉 ・01」
* 「シリコングラフィックスを使っていた頃」
* 「数理造形から見えてきたAtom時代の終焉 ・03」
* 『1984年からMacintoshとの付き合いが私の重大経験』
* 『日本で最初のCAD解説本が示していたこと』


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『日本で最初のCAD解説本が示していたこと』


   


     8月 29th, 2014  Posted 12:00 AM



日本で最初のCAD解説本は私と当時のスタッフたちと上梓しました。
それはまだ福井にいた1991年のことです。
ClarisCADがVersionUPするので一年延びたと思います。
当時は、四つしかCADは無くて、私はMac専用を選んでいました。
VersaCAD・MiniCAD+・AutoCAD・ClarisCADが出始めた頃です。
なぜならこの三つはMS-DOSであり、CADの解釈に未来見えずでした。
図面とは何か、から書き始めていますから、
図面の定義も明らかになっています。
図面とは「未来の形態を伝達する書式」であり、
CADと言ってもComputer Aided DesignかDraftかを見極めました。
すでに、2DのCADから3D-CADに私は向かい、
その応用のために光造形システムを叶えられる大学人になっています。
当時もこのCADが最高とは言っていませんから未来希望があります。
正直、この本を書いていたことを忘れていたのは事実です。
だから、私は図鑑=作品集では紹介することを忘れていました。
思いがけず書庫で見つけて読み直して現代事情を見直した次第です。
当時の未来への期待では現状とは四つの違いがあるようです。
まず、OSの変化と進化がCADを決定していくだろうこと。
CAD/CAMへの進化が発想のための書式にはまだ未定なコトが多い。
3D-CADが2D-CADからの進化に連鎖している不都合さがあること。
すでにクラウド対応になる予想はしていなかったことなどです。
結局、発想がPCのCADに縛られていることからは、
なんとしても解放されなければ、CADの方が人間より賢いでしょう。
そのことがPCで出来てきたことを嫌悪する最大原因になっています。
最近ではPCもChromeOSやiPad上では使用方法が変わってきました。
これは発想・表現・伝達をも変貌させるはずです。
私はCADはすでに6D-CADにまで進化していますから、
デジタル図面化は図面上で時間・人材・材料までが次元化されます。
そんな時代に向かって、「未来の形態設計」に、
自分の発想そのものを大変貌させることは
間違い無く当時から繫がっていることは間違いありません。

「進化した光造形・ラピッドプロトタイピング」
「光造形と3Dプリンターでクラインボトルはなぜか?」
「三つの革命を促してくれた『光造形』デザイン」


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『Programmingが整ってきたのはMacの世界になったから』


   


     5月 21st, 2014  Posted 12:00 AM



コンピューターが登場して、OSはこれまで様々に展開しました。
私は、MS-DOSとMSX、そしてUNIXがまだ二つの頃には、
Logoに惹かれSmallTalkが人工知能になるものと思っていました。
しかし、UNIXはその二つがNeXTによって、
Project Builderでまとまえられると、
結局はMacOS、このベースになりました。
私は、おそらくやがてはProgrammingは、
Mac機種そのもので実現することになるものと想像していました。
これからのデザイナーはProgrammingが絶対に出来るべき、
そう考えていた私は、阪大在任中は、研究室学生には、
iPhoneのアプリ制作を課題にし、しかもそのアプリは、
私がすすめるPKD=Peace-Keeping Design支援活動にしています。
このアプリ制作は、デザイナーの新しい能力を示していました。
これが組めないデザイナーを阪大ですら発見することができました。
それは、これからのデザイナーには不可欠のことです。
しかし、今この教育機関は国内に数えるほどしかありません。
無論これまでの美大ではほとんどこの教育はありません。
ProgrammingがNeXT上であったことはプレゼンソフトと同等でした。
すなわち、PowerPointでは未来はありえずに、
LightShowがKeynoteになってしまったことと一致しています。
私はコンピューターの進化は、
プログラム・プレゼン・ネットワークを何で動かすのかを
見詰めていくだけで明確に見えてくるものと考えます。
これからのデザイナーになる必須条件はProgramming=Xcodeです。
このXcodeなら現在のすべてのOSに指令を与えることができます。
PC に新しい世界をあたえ、Mobileもこれで進化するでしょう。
そして、ネットワークもCloudの世界からFogへと向かいます。
これこそ、私が考えてきたIntegration Mediaになるでしょう。


「 Media Integrationへのプレゼンテーションツール・4」
「もう一つの言語を教えていた昔・ロゴレゴのこと」
「数理造形から見えてきたAtom時代の終焉 ・01」
『1984年からMacintoshとの付き合いが私の重大経験』
「iPhoneアプリ・もう一度知らせます」
『画面プレゼンテーションを再考せよ』


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『1984年からMacintoshとの付き合いが私の重大経験』


   


     1月 27th, 2014  Posted 12:00 AM



私は車椅子生活になってふるさと福井に帰ることになりました。
ふるさとには高校時代の友人達がすでにそれぞれ分野のリーダーでした。
中でも、親友・玉木(現福井キヤノン事務機会長)は、
すぐにデザイン活動で苦心している私を物心両面で支援してくれました。
彼の会社のショールームにMacintosh128kがありました。
私は「とても高額なおもちゃのコンピュータ」を借りました。
彼に、「このコンピュータがきっと世界を変える」と話しました。
彼は私の予言を素直に聞き入れてくれてセールス戦略にとりあげ、
Mac512kは自らが講習会を受け、16台即持ち帰ってきました。
私はAppleⅡもLisaもじっくりと知り尽くそうとしていただけに、
Macintosh128kの商品発表は鮮烈でした。
その頃、VENUS-P(通信衛星)で米国のDIALOGにアクセスするという話が、
もっともらしく当時の雑誌紹介はすべてが嘘でした。
なぜなら、Mac512kとMacTerminal、電話カプラー300bpsで、
私はDIALOGに福井は40円/分、東京は80円/分、名古屋は60円/分でした。
このようなことを書き始めていたこともあって、その後からすっかり、
Macの世界に入っていきました。
1991年から2年半は、とうとう福井で7つのコードネームで新製品開発、
Apple社からは弁護士や開発チームがやってくるほどでした。
私はジョンスカーリーの直属のデザインコンサルタントを務めました。
クパチーノApple本社でのプレゼンテーションでは、
黄色人種としての立場までいっぱい体験しました。
日本・東京はバブル経済であり、私は「何かが変だ」と思っていました。
さらに大電産業グループが私にeX-DESIGN(株)を全面支援してくれました。
福井で車椅子の私に1億4000万円のEMSを与えたのは、
その頃の福井県青年会議所の主要メンバーや地元の金融機関でした。
MS-DOSはじめSmallTalk、いくつかのプログラム言語を独学しました。
心臓障害になり、デザインも諦めていた私は、
気づけば、名古屋市立大学に光造形システムとその環境が与えられました。
先般、日本のグラフィック界の二人の代表人物に、
ジョッブスが最後に置き土産にしたと思える書体の話もしたところです。
私の30代からこの35年をMac文明とMac文化があったことは確かです。


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『資本主義からの逃走』
 「色彩感覚とCAD感覚・05」


   


     1月 23rd, 2010  Posted 6:00 AM

Claris CAD
ALIAS本社でのCGトレーニングと同時に、
私はパソコンをデザインツールにすることに没頭。
2D-CADを追いかけていました。
最初に福井キヤノン社長=高校時代親友が、
Canonのパソコンを持ち込み、
プロッターまでそろえてくれました。
だから、当時は、相当高額だった「ワープロ」まで、
彼は提供してくれました。
結局「Claris CAD perfect manual」を上梓するまで、
のめり込んでいたのです。
この本はすでに廃刊ですが、
日本で最初のCAD教則本であり、
当時のパソコンCADについて米日での私の比較論を
書き上げていると思います。
なにしろ、MS-DOSからMacでの2D-CADは、
私を3D-CADに、
今では4D-CAD開発にまでいたっているのです。
1984年のMacintosh以来、ズーッとMacですから、
一時期は、NeXTSTEPもありましたが、
Mac OS Xになって、EWSのUNIXも、
私の体験の中で培われたのだと思います。
今、bit世界に、「点・線・面」思考も、
bit色彩感覚論も、
私のデザイン手法を再構築し直してくれました。
よく、「コンピューターでデザインが変になった」、
とか言われる方々がおられますが、
それは「まったく間違っています」。
コンピューターに向かえば向かうほど、
そしてコンピューターでの限界を知り尽くせば、
「本来のデザイン」を二つの視点から捉え直すのです。
その結果が、
私が「手描きスケッチ」の重要さを主張するわけです。


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『資本主義からの逃走』
 「数理造形から見えてきたAtom時代の終焉 ・01」


   


     1月 19th, 2010  Posted 9:00 AM

TOSBAC-5600
私が最初にコンピューターと出逢ったのは、
東芝に入社した1972年でした。
新人研修で、FORTRANCOBOLを知りました。
デザイナーゆえに、チューターはどちらにするか、
ということでしたが、二つともやらされました。
TOSBAC-5600でした。

大学時代にタイプライターをマスターしていたことが、
最も役に立ちました。
新人研修はグループ全員が旧帝大卒ばかりでした。
美大卒?、デザイナー?というやや蔑視的雰囲気から
「パンチカード」への入力がうまかったので、
TOSBAC-5600は、私の力量?を認めてくれた!
とさえ、思った出逢いでした。

しかしなんとも面倒で何の役に立つのかは不明でした。
やがて、Appleの存在を知りました。AppleⅡでした。
買える値段ではありませんでした。
ZX81
Sinclair(英)ZX81がやっと買えたので、
これでMS-DOSを独習しましたが、
本当はCP/Mが大好きになりました。
以後、様々なプログラム言語も独学でした。
気がつくと、
国内メーカーへのコンサルタントになりました。
コンピュータ開発でありデザインではありません。
VENUS-P(KDD)で、MARUNET(丸善)、
この通信系経由から
情報検索システムDAIALOG(ロッキード社)に
接続していたのです。
そして新聞記事を書くまでになってました。

Macintosh128KでSOURCEの会員になったのは、
私が日本人では4番目だったはずです。
SOURCEからCompuServe(現在のNifty-Serve)が、
最初の会員制ネットワーク回線だったことを知る人は、
どれだけ残っているでしょうか。
「北陸の福井に、デザイナーなのに変なヤツがいる」
ということでデザイナーなのにコンピューター雑誌に、
連載を持ち始めました。
これが私がbit社会へ入って行くいきさつの一部です。


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