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Posts Tagged ‘SNS’


『独裁性と自由主義と民主主義を守るために』


   


     5月 21st, 2020  Posted 7:36 PM

ペスト、コレラ、スペインかぜと感染症100年周期説につながる
「新型コロナウイルス」の猛威に、長期戦での感染症対策の公衆衛生と
「新しい生活様式」を政権が提唱しています。
「アフター・コロナウイルス」の「経済」活動は
元通りになるということは起こりません。
様々な問題点の対象は、自由主義と民主主義です。
民主主義では、49:51ゆえには、もっと規則が必要です。
それこそコロナの「生物兵器」説を私は調べていますが、
もはや「兵器」となる情報操作、ネット世論操作が、
SNSのようなインフラを通して民主主義を壊しているとも考えています。
コロナという生物兵器と、SNS等への情報兵器が、
第3次世界大戦での主力であり、
すでに起こっているのではないでしょうか。
「新しい生活様式」で、オンライン化が進む一方で、
「ボット」「トロール」「サイボーグ」などを、
これはズーッと私はすでに「エイジェント」と
F-FORMAで提案をしていました。
広告出稿、インフルエンサーと作戦がすでに無くなっているのです。
私としては、私を非難する川崎ボットなどの出現や、
SNS上での個人戦は経験済みであり、必ず、闘っていましたが。
独裁政権、政権維持や、侵攻、侵略のための、
ネット世論操作が、自由主義の大原則である
言論や表現の自由といった基本的人権を庇う民主主義の国から
拡大したSNSに「兵器」として様々な作戦をしかけているのです。
法規制も、法の罰則も無いインターネット追いつかないままに、
中華的「独裁性」との「経世済民」との闘争になるでしょう。


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『公立も国立も二つの名誉教授ゆえ少子化の制度』


   


     10月 31st, 2019  Posted 12:00 AM

デザイナーとしての実務を重ね、48才から大学人になりました。
大学人として、名古屋市立大学と大阪大学の名誉教授、
つまり公立大学法人と国立大学法人に在籍し
その称号を授与していただくのは
なかなかないことで、その評価を有難く思っています。
スタートした名古屋市立大学から大阪大学へと移籍し、
様々な研究プロジェクトに取り組み、教え子を育てました。
公立大学は総務省+文科省であり国立大学は文科省の管轄です。
名古屋市立大学教授としては市の職員として、
市の公務員対象のデザイン教育講座を受け持つこともありましたし、
市政の未来づくりへの会議にも参画していました。
また当時は大学院レベルで、
名古屋市立大学と名古屋大学の単位互換を
デザインとロボット研究の講座間で行おうとするも問題山積で、
生田幸士先生(現・東京大学名誉教授)と説得にあたり、
ようやく実現したということもありました。今では当たり前です。
とは言え、大学の事務方も市の職員で、
大学としての規模が限られている一体感がありました。
今でも、食堂のおばちゃん、事務方も、
生協の調達の担当者もSNSなどで繋がっています。
一方、大阪大学では、格式、威厳ある会議や会合があり、
そのリーダーシップを担う立場が求められます。
名誉教授会や、医学系の退役教授会も、
その脈々としたつながりは流石です。
国レベルの研究と大学間の連携なども可能になります。
私の人工心臓も東大との連携で実際に実験することができていました。
そして、研究についての予算を決定する学術振興会の会議では
かっての旧帝大と早稲田大と慶応大が最終決定の任務に就いています。
この会議では、あまりにも流れに沿った内容に随分と文句を言いました。
現状の流れを変えてもらいたいと思う方が、
私を登用してくれたのだと思いますが、
真実をストレートに言いすぎる私は、
キャリアに変革することは叶いませんでした。
これからは、大学の構成も大きく変わっていくでしょう。
これだけの大学が、
国立、公立、私立などが「少子化」に向かっていくのです。
教育の重さはわかっています、
それ故に誰彼なしに入学そして無償化ではなく、
それこそ子ども達が志を高く持てるよう、
制度化=60割高卒を導いてもらいたいです。


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『現代の刀匠から刃物の伝統工芸品は無駄、警棒にもある』


   


     10月 27th, 2019  Posted 12:00 AM

今では刀剣類は人気の高い美術工芸品になっています。
鎌倉時代は、ビッカース硬度は63以上で、
江戸に入ると伝統的となり、現代の刀匠でも美しさはもちろん
切れ味も評価に相応しい「品格あるモノでは無い」と思っています。
要は、刀剣から伝統工芸品でも、間違いがとても多いのです。
そして今や刃物は様々な種類どこでも入手でき、
使い方次第で人を傷つけるモノにもなります。
また日本は「性善説」を信じ望む反面、「性悪説の社会」になっています。
これを裏付けるのはメッセージ、写真、動画による
SNSが大きく関わっています。
自然災害、人的災害、犯罪への対策、防災、防犯と
身を守る意識をどんどん高めないとだめでしょう。
家の防犯は名古屋にいた頃はセコム、
今は大阪ガスセキュリティサービスです。
警備会社の人たちは駆けつける時、
警戒杖だけで対応していますから、私も色々と試しています。
銃刀法では、5.5cm以上では、持ち歩いてはいけないので、
刃物の産地とミニナイフのデザイン、
最近は新たな刃物づくりをを色々試作しています。
車いす利用者の私でも警棒は45cmまで使えます。
オートマチック警棒(右下)は、
握力に問題なければ簡単に伸ばすことはできましたが、
もとに戻すことが困難でした。
「棒術」を教えないといけないとすら考えています。
また、日教組は「戦争」とか言い出すでしょう。


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『性善説価値をAIの導入・進化はデザインが図る』


   


     12月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

デザイナーに対しても、AIの将来像、その予測や予知内容の質問があります。
これはもはや現在進行形であり、近未来と考えるスピードで変革しています。
これには、とりあえず三つの方向を私は予測しています。
● 脳科学と神経科学が融合価値
● 電気生理学と神経解剖学の統合価値
● 動物での行動実験からの総合価値
これらがコンピュータでのイメージング・マッピングが須く
「性悪説」に向かっていることだと認識が必要です。
パソコンにウィルスやハッキング、SNSでの人間関係破壊は、
ほとんどパソコン登場時は予知もありませんでした。
苛め、自殺誘導、犯罪仲間募集、殺人教唆などがネット運用の有様です。
AI進化により、特に専門職である医師の問診、アナウンサーなど、
職業が無くなることはあるでしょう。
しかし、私が最もAIと性悪説が結びつけば、
たとえばドローンとAIやロボットとAI、IoTとAIによる殺人までが
必ず可能になり、アシモフのロボット原則破壊は起こるでしょう。
ロボットの戦闘兵士は、AIで殺人は必ず起こると考えます。
そこで、性善説AIロボットと性悪説AIロボット世界が生まれるでしょう。
私はこのAIでの放射能完全防止と防犯AI、防災AIは、
ロボティックスとフォトニクスが絶対に必要になるだろう。
デザインがAIを性善説に向かわせる領域設定が必要です。
これはすでにKAISTの環境デザインはロボット社会環境なのに、
わが国の環境デザインが建築偏向であり、
デザインでの製造・生産による環境デザインならば、
現在の建設中心主義は改められるべきです。
それこそデザイン思考ではAIへの方向性は創造不可能だと思っています。
そういえば、40代でApple本社での開発コンサルタントだった時、
「このプロジェクトは絶対に国務省(軍備や戦争武器)への提案は無視」、
この所信が述べられたことを思い起こします。
デザインがAI誘導を統合性、総合性に向かわせるには、
デザインでの価値は全体価値であり、付加価値支援ではありません。
デザインによる価値は「安心・安全・信頼・信用」が、倫理厳守であり、
性善説構築は性能や機能ではなく、デザインでの効能と思っています。

* 「ロボット・『踊』の意図すること」
* 『漫画・アニメーションにみる日本独自のロボット観』
* 『「ロボット」概念の拡大はデザインで生命体擬化する』
* 『現代芸術が発見している予感をデザインが予見する』
* 『「炊く」を事例に、再度、IoT・AIの美しさを』


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11月06日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 6th, 2017  Posted 12:00 AM

11月06日 友引(丁酉)

SNS閲覧での「いいよ」とは、
それほど重大な意志決定ではない。
ただ、見たよ、という
合図に過ぎない、程度である。

川崎和男の発想表現手法


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『現代芸術が発見している予感をデザインが予見する』


   


     10月 31st, 2017  Posted 12:00 AM

トマス・サラセーノ(Thomas Saraceno)、現代芸術家です。
彼の作品を知る人が日本には少なすぎると私は思っています。
かって、日本の国家戦略にΣ(シグマ)プロジェクトがありました。
当時、ようやくマルチメディアが騒がれ、UNIXも2通り、
そしてパーソナルコンピュータが登場した原始時代でした。
その時にはweb社会を提案し、ユビキタス以後のクラウド社会までが、
彼の芸術提案であり、この現代芸術を追いかけることで、
パソコン、インターネット、クラウドサーバーが見えだしたのです。
私は改めて彼を語り直し、再注目を求めたいと思いました。
理由は、Internet of ThingsからAI、VR、が確実に見えて来ていながら、
日本の立ち後れが見えだしているからです。
彼はこのクラウド・シティの住人である私たちに、
何を突きつけているのでしょうか?
おそらく、カタルーニアの独立運動がヨーロッパの分断化は、
英国がEU離れをしたように、進行して新たな社会がそれでもwebとAIで、
確実に先進国家を繋いでいくことになるでしょう。
その予感・予測・予知から、彼の芸術が私たちを引導すると私は思います。
トマス・サラセーノをずーっと見続けて、デジタル社会=コンピュータ、
それもクラウドサーバーは確実にあのCity of Bitsを招き入れているのです。
ウィリアム・J・ミッチェルが著作したe-Topiaにわが国が迷走しています。
私は、SNSであれInstagramに興じている現代日本は
再度、もう一度、send mailは誰が成しえたのかを
検証しておかなければ、After2020から、日本の発展は喪失するでしょう。
私は、三角定規からドラフター(製図台)、それがプロッターとなり、
光造形を求めて大学人にもなり、すっかり今では3D-Printerの時代にいます。
私のデザイン活動の大半は、
デザイン造形がやがてはAIでもOKになるでしょうが、
絶対に不易な物事は、感性が見極める「美しいモノ」と「モノの美しさ」に
次世代は芸術家の予知とデザイナーの予見=美しさを繋いでほしいのです。

* 「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」
* 「環境デザイン・定義枠付けが時代遅れ」
* 『NeXTSTEP・OpenSTEPそしてMacOS Xと進化は無い』
* 『まだ新たなOSのパソコン=HP Chrome11』
* 『コンシリエンスデザインをともかく訴求!』


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『今でも、最も美しい、NeXTの存在』


   


     8月 23rd, 2017  Posted 12:00 AM

今ではほとんど忘れられているパソコン、
当時はMacintoshがようやく知られていましたが、
これもスティーブ・ジョブズの仕事でした。
それはNeXT Stationでした。
私は以前の大学では二台使用し、もう一台は自宅でした。
その自宅でのNeXTを発見して、もう一度使ってみようか、と考えています。
阪大にもMacSEがありました。が、やや黄ばんでいましたが、
あらためて使いたい気分になりました。
自宅で見つけたこのNeXTは、もう一度見直してみると、
私はこれを部屋のディスプレイに置いて使って見たい気分になりました。
確か、アップルジャパン設立10周年記念講演に出たことがあります。
その時には、Digital Equipmentのパソコンに
NeXTのLight Showを入れて画面投影をしましたが、
Digital Equipmentとは分からないようにということで、
アップルから指示がありました。
同時に講演したのがジョナサン・アイブでした。
まさか、Digital EquipmentでLight Showが動くということには、
アップル社にも大変驚かれた思い出があります。
Light Showが今のKeynoteになっていると言えるでしょう。
さらに思い出すのは、なぜか、NeXTには、
「シェイクスピア」がほぼ全巻入っていました。
ともかく、ジョブズが思い切りやりたいことをやり遂げたデザインでした。
私は今でもこのコンピュータほど美しいコンピュータは無かったと思います。
これからこのコンピュータを思い出すためにも、
記述しておく必要があると思うのです。
なぜなら、当時はまだウィルスやハッカーという存在はありませんでした。
当然、SNSなどもなく、1200bpsでの通信ネットワーク?だったはずです。
ともかく、「ハッカー」というのはMITの鉄道クラブで生まれた言葉でした。
それは夜の間に鉄道模型ジオラマをやり替えてしまう人のことでした。
もう一度、動かすことができるのかどうか、です。
そういえば、当時、阪大は400台が投入されていました。
誰が中心?、
これを聞いたところ、3名の教授が「私だった!」とのことです ?。
もし、・・・だったら、「変わっていたはず」と私は思います。

* 「哀悼・スティーブ・ジョブズ氏」
* 『パソコンの小さな歴史の物語り』
* 「現代の道具・LSIのやり直し」
* 『メルクリンの世界も私の憧れのコレクションだ!』
 「Power Point・進化もしないソフトに才能を乗せているのは能無しを自己証明」


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『発見された多分あの世の七つの惑星』


   


     2月 26th, 2017  Posted 12:00 AM

私たちには見たことが無いものが三つあります、
これが私の持論でした。
まず、UFO? 見たことがあるという人もいますし、
ひょっとするとという私の2度の経験は、全く不明です。
背後霊?、これは私には理解不可能。
もし背後霊とか守護霊とか、私には見えないし、
私の遺伝子歴史で考えれば6万人ぐらい、なのにほんの1,2人霊?
そして、ウランという物質。
これは在るのですから見ることが可能ですが取材もされていません。
見たことがある学者の方の時代には、
考えられないほとんど迷信に包まれていたと聞いたことがあります。
あるとき、あるTVチームとの取材を申し込みましたが・・・。
今、見たいのはオーロラと砂漠などが私にはあります。
当然、恐竜の骨格だけでは無い羽毛に包まれていたという
その外観や、大気圏からでいいから地球全体です。
ところが一昨日?NASA が重大発表をしました。
新たなそれも水もあるから生存可能かも知れないという惑星の存在です。
私たちの視覚は、最も長距離をセンシングできますが、
惑星、それは私たちには星です。
39光年離れた恒星にある七つの惑星、
その三つには生物生存可能という発表。
39光年という距離感が全然わかりませんし、私の生存時間には、
見ることが不可能かもしれませんが、それでも、
とても夢のある話です。
ともかく、現代のジャーナリズムという「日々の記録」は、
テロや殺人事件やゴシップどころか個人が性悪説でしか生きていない、
そんなコンピュータでのSNSでの罰せられる人生の人たち世界です。
もし、いや、多分、21グラムの魂があの世に向かうのは、
きっと、その三つの惑星なのかも知れません。
そういえば、もうすっかり夜空の星を見ることが、
この大阪では無理です。
高校時代の山岳部では、天気図をラジオで聞いて作成し、
夜空の星に詳しい先生から、星の名前を聞きました。
それは今、私のiPadの中に輝いているアプリケーションがあります。
きっと、この天体での七つの惑星をリアルに見れる日が来るのでしょう。
あの世へは39光年を七つの道程で逝くのかも知れません。

# 死体は21グラム軽くなるから、その21gが魂という説

* 「見えることの安心・信頼そして不思議」
* 「私の小さなふるさと・福井県」
* 『宇宙開発の信頼・安全性工学からデザインが学ぶこと』
* 『ケプラー452b星人かもしれない』
* 『彼は映画の社会的メッセージを知り尽くしている』


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『バブル経済は私たちも破壊したのでしょう』


   


     1月 29th, 2017  Posted 12:00 AM

明治のチョコレートは、私自身がその味を知ったモノでした。
しかも初期のパッケージのロゴタイプは、
デザイナーなら絶対に知っているグラフィックデザイン。
大御所であった故・亀倉雄策氏のレタリングでした。
ところが、グラフィックデザインの切なさというべきか、
全てが小文字表現になってしまいました。
多分、企業には逡巡性があったのではないでしょうか、
もし、時代風潮からの変更であったとしたなら無念だと私は思います。
したがって、このロゴタイプになってからは、私は明治チョコレートを
もう絶対に買わないでおこうとさえ思ったものです。
ちょうどこの時期になると、バレンタインという行事の準備が始まります。
デパートから、バレンタイン商戦始まりとかの小冊子を見て世の中は大変、
正直、呆れながらも、どこがこの商戦にどのような戦術になるのかという
興味がとても私にはあります。若い頃には大手デパートで、
自分自らが「ラブチェアー」という企画展をしたことがあります。
「ラブチェアー」って和製英語ゆえ、「ラブシート」、と、
米国の親友にアドバイスをもらったこともあります。
さて、チョコレートでもバレンタインでもなく、
日本の企業が壊れ出したのは、あのバブル時期からだった気がします。
バブルでの経済の崩壊は、企業にガバナンスとか、
企業は株主のための存在とか、しかもインターネットでの
情報時代=意識革命は、SNSとかのネガティブさが企業存在まで、
とても怪しくして、モンスターなる消費者とか、
サイレントユーザーという、文句は言わないが、
その企業の商品消費は辞めてしまうなど、
性悪説の社会構造が出来上がってきている気がしてなりません。
それこそ、「イジメ社会」も激しくなったようです。
ケータイやスマホがこの社会成立をバックアップしています。
企業の義も善も否定が扇動して、
美は「かわいい」ということに置換されたのでしょうか。
チョコレートの名作だったデザインの変更は、
まさしく小文字だからこそ「かわいい書体」へということは、
私には悲しみでしかありません。
バブル時には私は米国での仕事だけをしていました。
東京が「何か変」だったのです。
バブルは私たち日本人を壊したのかもしれません。

* 「チョコレートの決定打は決まっている」
* 「2/14のチョコレートは天然とヒーリング」
* 『漫画・アニメーションにみる日本独自のロボット観』
* 「泡・バブルって、やっぱり凄いんだって思います」
* 「キティちゃんにて確認できる『安全と安心』」


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『歴史的な条項言説を正しく使用しなければならない』


   


     1月 7th, 2017  Posted 12:00 AM

私たちは時々、常に知的な常識を表面的な記憶ではなく、
その真意と深意に立ち戻らなければならないと思います。
その最大の理由は、表面的な意味に縛られていて、
本当はなぜ、
歴史的にも私たちには再検証しておくことが必要になるからです。
それは、時代、時流での人間の意識には、
性善説の人たちと性悪説の人たちの
とてつもない嫌な社会的な衝突があるからです。
私が今、自信をもって断言出来ることは、
この時代は、いや21世紀に入ってから、
デジタルの世界・インターネット時代は
それほどでもなかったのに、おそらくSNSが人間社会を二分したのです。
それは世界的にも、自分勝手さが放置されるとともに、
その放置は宗教哲学的にさえ、食い止めることができなかったことです。
今、世界は地球は地球市民とかに性善説な世界観を与えていますが、
実は、ナショナリズムが各国で台頭してきて、
グローバリズムなんて嘘だとは言ってはいけない風潮があるのです。
世界全体を見渡して私の評価・判断を言うことはむずかしいですが、
私の世界、それも日本のデザイン界を眺め渡すと、
物真似?、コピー?、いや、盗作が平然と起こり、
さらには未だに「デザインとは何か?」、この低レベルな発言や講演は、
デザイン教育にまで及んでいることです。
そこで、私が自分の歴史的な知的な深度ある常識を
性善説も性悪説も超越した、古典的な記述を投げかけておきます。
ハンムラビ法典の196/197条?項目、
「目には目を、歯には歯を」という懲罰条項を思い出し、
その真意と深意の正当な報復の現代解釈を持ち出しておくことにします。
「かわいいはデザイン評価にはなりえない」
「工藝とデザインの美学性の正当性を語り直す」
「デザインコンテクストの商売利用」に、この条項を与え直します。

* 「テロという名の殺戮に怒りを込めて」
* 「アーティスト、デザイナーにだけ降りてくること」
* 「グローバリズムは冒涜的な思潮だと思う」
* 「グローバリゼーションはローカリズムの対極だろうか」
* 『民藝というレジリエンスデザインの源流は光化門にある』


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