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Posts Tagged ‘発表’


「DESIGN TOKYO 三年目の成果が見えてきた」


   


     7月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

日本が「ホスト国」であり続けること。
これは私が、日本の貿易立国・見本市コンベンションの最大目標です。
「製品デザイン」の中心国であることを意図して、
「DESIGN TOKYO」展を創って三年目になります。
この展示会は、二つの領域で構成しています。
まず、この展示会に出品できるかどうかは、
「審査会」を設けています。
今年はMoMAのアシスタント・キュレーターも入っています。
同時に様々な領域展も開催しているので、
日常生活のあらゆる商品・モノが見れることと商談が可能です。
アジアはもちろんアフリカ・欧米からバイヤーも増えてきました。
特に、「DESIGN TOKYO」はデザイン中心主義を高めると同時に、
次世代デザイナーの発表の場があります。
これは、私の強い狙いがあります。
海外で発表すると大変な出費になります。
そして発表成果はほとんど無いと言ってもいいでしょう。
しかし、この場なら、バイヤーと直接デザイナーから売り込みが可能です。
欧州の有名な次世代デザイナーや企業がショーアップしている展示会は、
高額な出品料を取られて、投資効果はゼロです。
韓国の次世代デザイナーはほとんど出品しなくなりました。
「DESIGN TOKYO」であれば、MADE IN JAPANが明らかです。
今年は台湾政府から
台湾デザインセンターが選別したモノが持ち込まれました。(写真右上)
ふるさと福井からは毎年、
Hacoaが審査通過して発表しています。(写真中央下)
ワイフが座って確認しているのは、
デザイナー提案の「椅子」であり、
毎年発表の場にしていただいてます。(写真右下)
来年は、出品意図を明解にしてもらうためにどうすべきか、
次世代デザイナーには、新たな産業を紹介し、
このような領域という「テーマ」そのものを提案します。


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「メガネ革新の核心がはずれた商品は不可」


   


     6月 27th, 2012  Posted 12:00 AM

私が2008年から開発に関わった製品があります。
しかし、このメガネ発案の革新性は国外で開発されました。
そしてデザイン開発にはそこからの依頼で深く関与しましたが、
中途半端にすでに商品化されて発売されています。
無論、この製品は低開発国向けのモノゆえに、
デザイン対価はボランティアでした。
だから、私は「お人好し」だったと思っています。
商品発売は一昨年前に突然、わが国で販売流通がスタートしました。
その発表直後に私はその趣意を知りました。
正直、無念で悲惨な商品になっていますし購入検証して確認済みです。
「ガジェット商品」、つまり「アイディア商品」になっており、
素材や構造は、さらには生産工程がデザインされていません。
日本の製造技術ならこのような商品には絶対になりえないでしょう。
結局は、「低開発国向け」というのは私への虚偽だったと認識しています。
詳細は今後、これを必ず超える商品で証明するつもりです。
しかし、
この商品開発に関与したことで私には多くのノウハウを蓄積しました。
先般、
ふるさとの鯖江市・メガネ地場産地でそのノウハウの一端を紹介しました。
もちろん、この開発での「守秘義務は紳士協定ゆえ」守っています。
むしろ彼らは「紳士協定を無視」していると指摘しておきます。


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6月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 9th, 2012  Posted 10:00 AM

6月9日 大安(辛丑)

「ポートレート」が、
前述したペルソナ( 仮面 )を
かぶっている場合もあるだろう。
その人自身が表現されている場合もあるだろう。

いずれにしろ僕は、
どんなプレゼンテーションを見ても
そこで語られる内容よりもまず、
そこで発表しているプレゼンテーターたちの
内面をのぞいてみたい
と思ってしまうわけだ。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


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6月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 8th, 2012  Posted 10:00 AM

6月8日 仏滅(庚子)

プレゼンテーションの資料を
どんなアプリケーションで作ろうが、
どんな話の展開になろうが、
どんな詳細な資料が提出されようが、
その発表の最中に毎回出てくるのは、
提案しているその人自身の
「ポートレート(肖像画 )」 なのである。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


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「連塾・最終回=10年を語る前に、松岡正剛という『ち』」


   


     5月 28th, 2012  Posted 12:00 AM

「連塾」の指南者、
松岡正剛は10年を彼らしく「切断」しました。
10年間この「連塾」を率いた彼について、
いつの日かという彼の前での「私純情」を語るときが来たと思います。
1991年、箱根の「強羅花壇」で私は彼と出会いました。
箱根で「国際マルチメディア会議」がありました。
Apple社・ジョンスカリー会長が全世界から、
当時のコンピューター専門家から企業トップを集めた会議でした。
三日間缶詰での会議でした。
懇親会は「強羅花壇」が会場であり、
現マクドナルド社長の原田氏が営業本部長として総括されました。
民間からは私と松岡氏、そしてA氏(元官僚)B氏(作曲家)4名。
私はスカリー会長の直属デザインコンサルタントでしたから、
この会議中も、会議の合間にデザインモデルのプレゼンをしていました。
懇親会もどこまでお金がかかっているのかという盛大さでした。
ところが、和室に入れなかった私が別会場に一人の時、
松岡氏が入ってこられたのです。
(この人が『遊』の編集長だ!、やっと会えた)
そんな感慨と、『遊』の超美人女性デザイナーKK女史に会えるかも、
私は瞬間的に想像したことを思い出します。
それから、交流が始まりました。
私も読書量は人並み以上という自負がありましたが、
松岡正剛は100万冊は読破しているとすら思っています。
あらゆる分野に精通し、特に「日本を語らせたら超巨人知」でしょう。
千夜千冊(もはや1000冊を超えています)は、
おそらく世界にもあり得ない「書評アーカイブ百科」編集事実です。
「千夜千冊は世界的事件」という評価まであります。
私の著作も取り上げていただきましたが、
それは私へのラブレターでした。
「だから、私も松岡正剛に惚れ抜いています」と、
「連塾終了」の知らせ直後に彼に知らせ、
懇親会でも連塾参加者の皆さんにまで惚れていること発表しました。
昨夜、別れるときに「紙墨相発」を送るから、
松岡氏も「私の自宅に必ずまた行くから」と。
「連塾」、そのテーマは「日本という方法」でした。
これからがこの方法論が必至になっています。
これから時々、彼との話題・課題を書いていきます。
その季節が私に訪れたのでしょう。


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「ビデオアート・現代音楽・オーディオの統合化をめざす」


   


     4月 24th, 2012  Posted 12:00 AM

フリーになっても、オーディオデザインで生きていく、
その気持ち、志は変わっていませんでした。
東芝Aurexでは、音響機器の工業デザインに留まらず、
イベント企画=Aurexコンサートやオーディオフェアなど、
ショールーム設計、レコード編集、量販企画まで
なんでもかんでも興味いっぱいに首をつっこんでいました。
意匠部長(現デザインセンター長)にはしばしばしかられつつも、
チーフがいつも私の自由行動を許してくれていました。
実際は意匠部長もかわいがってくれていたのです。
上司には本当に恵まれた東芝は、私を鍛えあげてくれていたのです。
音響機器デザインをより拡大したい、
この想い、デザイン領域の拡大という志は今も変わっていませんが、
オーディオにビデオアート・作曲録音・多チャンネルHi-Fi再生を
作品化しようとしていました。
30-Channelというのは、
30個のフルレンジスピーカー=ロクハンを曲に合わせて
一個一個制御しようと考え実現しました。
リレー回路でSPチェンジするプログラマブルコントローラーでした。
今ならパソコンで簡単に可能です。
しかし、この投資は発表はできませんでしたが、
現在、「アンビエントアライアンス」に繋がっています。
「興味を持ったら、徹底的に納得するまで実行する」。
これこそ「行学」の基本だと私は思い、行動を起こしてきました。
どれほど当時は無駄遣い=浪費したかしれませんが、
人生において重要なことだと考えます。
だから、このことは教育者としても、
自分で作為的に重ねてきた経験ですから、
学生、次世代デザイナーには強調主張しておきたいと思います。
そして、そのようなことを試みているデザイナーということで、
フォーライフ・レコードや
「流行通信」、PLAYBOY 誌や平凡パンチ誌にも伝わり、
フォーライフ・レコードからデジタルガレージ設立や
「流行通信」に連載を持ちました。
けれども、徹夜仕事やメチャクチャな生活習慣で、
すっかり体調を著しく悪くしてしまいました。
父や金沢美大の恩師からも「帰ってきなさい」、
常に診てもらっていたドクターから
「ふるさと」へ帰れと命じられてしまいました。
丁度、ジョン・レノンが暗殺されたこともあり、
(私の青春は終わった)との気持ちいっぱいになり、
大きな挫折感を持ちながら、56豪雪になろうとする福井に戻ったのです。

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2月20日 staffblog


   


     2月 20th, 2012  Posted 11:59 PM

2月20日


川崎研の修士学生が
修士論文発表を行いました。

終了後には、
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)から打ち上げのご馳走が!

お疲れ様でした。

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Posted in Staff


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「仮設という無能な制度設計の住宅」


   


     11月 21st, 2011  Posted 12:00 AM

大震災に被災した人にとっては一大事なことです。
それを一刀両断的に「無能なる住宅」と断言します。
この表現は被災者の方々には失礼極まりないことですが、
やはりこの被災地の対応制度政策を評価するには、
こう言わざるをえません。
「仮設住宅」の制度は、全く知られていませんが、
これほど工業住宅が進歩した中で、呆れることが多すぎます。
この制度の入り込んでいる住宅対価詳細から、
この住宅建設の仕組みをもっとマスコミは報道すべきです。
パネル工法とガルバリウム鋼板の屋根材は低安価ながら、
きわめて一見合理的な印象がありますが、行程は省略工事です。
すなわち、防音材・断熱材・基礎工事の行程が省略されています。
明言します。手抜き工事ゆえに、
夏は相当に暑く、雨音はうるさく、この冬の寒さは当然です。
なぜ、私はこのことをほぼ告白として書くかと言えば、
中越地震の前にある住宅メーカーと、
「災害用住宅のデザイン」計画を進めていました。
ところが、そのメーカートップが病気で倒れてしまい、
この計画推進のリーダーを失いました。
結果、実に残念なことながらプロジェクト中断でした。
私は現在、復興計画では、建築や都市計画ではなくて、
「インダストリアルデザイン手法」の導入による、
特に「インクルーシブデザイン」としての計画を進めています。
いづれその詳細は、もし実現しなくとも「発表」する決意です。
基本は「仮設」ではありません。「佳設住宅」ですが、
「住宅」という概念も変更するつもりです。
「佳設」とは「美しい設備」が万端であり、
復旧でもなく、復興でもなく、
未来住居としての「佳設」が、「まち・みち・きち」、
すなわち、私のデザイン定石「いのち・きもち・かたち」が基盤です。
私は、現状の「仮設住宅」という制度、市町村と県の関わり方、
さらには、「仮設住宅」が工業生産される既得権、
これが建設族議員との関係を明らかにすべきと言っておきます。
やはり、日本のシステムがどれほど壊れているのかは、
「仮設住宅制度」が象徴しています。

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11月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 17th, 2010  Posted 10:31 AM

11月17日 先負(辛未)

発明したら発表するべきだ。
商品化できなくとも、
夢はみんなが共有できるではないか。

米国は、この手法で
どれだけ夢だけを与えて、
その後で思いっきり
失望させてもくれたことか。

それが情報化時代というものだ。

『デザイナーは喧嘩師であれ』器量相発


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6月26日Staff Blog


   


     6月 27th, 2010  Posted 12:48 AM

6月26日

第49回日本生体医工学会にて
発表を行った
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)。

会場には研究室による展示も行ないました。

ご来場、ご聴講いただきました皆様、
ありがとうございました。


Keynoteを使用した発表風景


学生の提案PKD
人工心臓、手術機器のモデルなどを展示


衝立を利用して、ブースを設置しました


会場吹き抜けには
PKDプロジェクトの象徴であるパラシュート


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